皆さんこんにちは。

津留晃一さんのお話しをシェアです。

「愛を通して」

人は誰でも
「つまらないモノを発見する」
能力と、

「素敵なモノを発見する」
能力の両方を持っていますが、

あなたは果たして
どちらの能力の方が
秀でているとお思いですか?

あなたが今

自分の人生はつまらないと
お思いだとしたら、

それはあなたが
素敵なモノを発見する
能力以上に、

つまらないモノを発見する
能力の方が

優れているゆえんであり、

つまらないモノ発見名人は、
どこにいても、

他にどんな優れた才能を
お持ちだとしても、

その人の人生は
つまらない人生と
なってしまいます。

とても単純な事です。

この三次元世界には、

つまらないモノと

素敵なモノの

2種類のモノや事が
存在します。

それは素敵なモノが
つまらないモノを
産み出し、

つまらない事が
素敵な事を
産み出すからです。

互いが、
互いの存在ゆえに

存在可能となるからです。

片方が消滅すると、
もう片方も消滅します。

それがこの物質宇宙の
発生の基本メカニズムです。

この世に
素敵なモノがある以上、

つまらないモノが
なくなることは
永遠にありません。

この世が素敵か否かは、

あなたの
今の環境や状況によって
決まるわけではなく、

あなたが
素敵なモノをいつも見つけ、

そのことに
意識の焦点を合わせているか、

つまらないモノの方に
意識の焦点を合わせているか

によってのみ決まります。

すなわち
この世が素敵かどうかは、

あなたの選択に
かかっているということです。

素敵なモノを見つめながら
生きているか、

つまらないものに
焦点を向けて生きているか、

そのどちらかでしか
ないわけです。

「これがないとつまらない」

と思うのは、

それがないと
つまらないという

あなたの
限定された思考により

発生しているにすぎません。

つまらないという事実が
存在しているわけではなく、

「それがないとつまらない」
とするあなたの考え方が、

あなたを
つまらない人生に

誘引しているだけなのです。

つまらないのは、
自分の抱く価値観によるだけだ

ということに気が付くと、

人はつまらないことに
意識が向かなくなってきます。

これまで人は、
今ここがつまらなくなると、

それが自分の考え方から
起きていることには
気付かないため、

どこか別の何かを
探し求めてきました。

人は進歩と称して
いつもいつもこれを
やり続けてきました。

つまらなくなったとき、

それは自分の考え方に
あるのだから

自分の価値観を
点検すればいいのだ

という事を知らない人は、

つまらない外の世界
(幻である映像の世界)を
変えようと

努力し頑張ってきました。

そして望み通り別の映像
(外部環境)を手に入れますが、

その新たな映像(環境)の世界で
また別のつまらないものを
発見してゆくというわけです。

このような話を色々なところで聞き、
色々な本で読んでいるので

頭では分かっているのに
腑に落ちていない人は、

自分で学んだ知識を
他人に当てはめるのが
得意な人で、

自分に適用することを
忘れているようです。

「自分はわかっているが
家族があるから」とか

「彼がどうしても
解ってくれない」
と人は言います。

そんな家族も、そんな彼も、

全てあなたの心の
内側以外には存在していない
ということを

すぐに忘れてしまいます。

あなたの目に映る
彼なのですから、

それはあなたの映像世界に
あなたが映し出した幻影です。

真理はただ
自分を変えるためにのみ
存在します。

あなたの世界は
ただあなたを変える
ためにのみ存在します。

あなたのスクリーンを
書き換えるゲームは

そろそろ終わりにしませんか?

この世に
「良いこと」と
「悪いこと」はない

ということを
受け入れているというのに、

自分の抱いている
道徳的価値観を

なかなか
疑ってみようとはしません。

あなたの中に
「そんなことをするのは
良くないことだ」

という「こと」は
ありませんか?

そんな無条件に信じ込んでいる
「いけないこと」を
探してみて下さい。

あなたの抱く
「いけないこと」が

人を裁き、自分を咎めます。

あなたは創造するものです。

何事であっても、

人を裁いたり、咎めたりする
必要などありません。

あなたはどんなことも
ただ体験し学んでいるだけです。

あなたの目の前に
起きてくる出来事は、

ただあなたが
自分の考え方に気付き、

意識の変容が
遂げられるようにと
起こってきます。

瞬間、瞬間、

創造行為にだけ意識を向け、

どんな時も喜びの創造に
あなたの意識を
集中して下さい。

あなたの自由は、

創造する事においての
自由です。

その時あなたを
邪魔する何者も
存在しません。

あなたはそのとき
完全な自由を
体感することでしょう。

人を裁いたり、
咎めたりしなくなったとき、

あなたはその自由さ故に
光輝きます。

そのあなたの放つ光こそが
あなたの全ての
創造の材料(素材)となり、

あなたの思いが実現します。

光を放たない
(即ち物質化の原材料の
供給の出来ない)
あなたが

思いを実現できる
はずもありません。

この物質世界の全てが
光により出来ていることを
思い出して下さい。

あなたの望む現実は、
あなたが放つ光を素材として
形作られてゆくのです。

まず
心を満たすところから
初めて下さい。

それは
ほんの一瞬で
すむことです。

あなたをこの次元に
留め拘束しているのは、

あなたの
「ねばならない」とする
考え方です。

こうしなければならない、
あれをしなければ、

という思いが、考え方が、
今の自分を縛っています。

自分の考え方を
手放したとき、

「ねばならない」とする
思いが消えたとき、

肉体は
この三次元にありながら、

神と一つになった
新しい生活が始まります。

あなたはこの次元に、

必ずしも都合の良い事を
するためにだけ

降りてきたわけでは
ないはずです。

何不自由のない
無限の領域から、

わざわざこの不自由な世界に
降りてきたのには訳があります。

それは体験してみたい
何事かがあったからです。

それは無限に自由な世界では
決して体感することの
出来なかった事であったはずです。

思うがままに
生きていたあなたが

体験できなかった事とは、

まさに
不自由さそのものでは
なかったでしょうか。

思い通りにならないとは、
一体どんな感覚なのだろうか?

好きでもないことを
やらねばならない時、
どんな感じがするのだろうか?

そんなじれったい
フィーリングを
体験してみたかった・・・。

そのことを
私は思い出しました。

今、
気に入らない事があったら

それを充分に感じとり、

そのフィーリングをこそ
体験しつくして下さい。

それがあなたの
生の目的なのです。

それがあなたが
今ここにいる理由なのです。

あなたの仕事とは
感じることです。

あなたの唯一の役割とは、

あなたのねばならない
唯一の事とは、

今、そこを体験し
感じとることだと
伝えられました。

好きなことはもちろん、
好きでないことをこそ
感じとってみて下さい。

それを
忌み嫌うことなしに・・・。

そこを感じつくし、
味わいつくした時、

あなたにはもはや
この次元で体感するという
学びがなくなり、

次なる学びの場である
次元環境が

あなたのために
用意されることと
なるようです。

それを可能ならしめるのは、

今そのままのあなたを認め、
そのままの自分を心に抱き、

無条件に
自分をただ愛しつくすこと、

ただそれだけです。

これで完璧なのだ
と気付けば、

ただそれだけで
あなたに変容が
起こってきます。

今の自分ではダメだと
思っているあなたが

変容することは
あり得ません。

何故なら
全ての創造主である
あなたが

自分はダメだと
そう決めているのですから。

今、あなたは
そのままで
何も問題はありません。

このことに
例外はないようです。

今、あなたが
どんな意地悪な考えを
持っていようとも・・・。

そんな意地悪な考えが
頭をよぎる自分を、

それでも良いのだと
ただ認め、

そんな自分を
そのまま条件をつけることなく
愛して下さい。

ねばならない事が
あるとするならば、

あなたの
しなければならない事は
ただそれだけです。

どんな条件もつけず、

今の目の前の生を
そのまま受け入れ、

心に抱き、
ただ自分を
慈しみ愛して下さい。

今、あなたの
目の前にあるものを
愛することを通して、

あなたは
あなたの神と
一つになります。

あなたの源へと
帰り着きます。

これがあなたの
するべきことである
といえるでしょう。

あなたは愛から生まれ、
愛を通してのみ
源と一つになります。

それが万人のゴールです。

全てのものに、
どんな意味も付けることなく、

愛することが出来たとき、

そこがあなたの源。

神の位置であり、

源との融合の

瞬間です。

愛を通して
トップへ戻る